産所や夙以外に、河原者というのがまた賤民の一つになっております。河原者とは前に申した通り、京都鴨川の河原に小屋掛けをしていた浮浪民や、或いは河原で皮革を晒らした皮作りなどから起った名称でありましょうが、室町時代には掃除人足や、植木屋・庭造りなどに河原者を雇うた記事などがあるのを見ますれば、今日で云わば手伝とか、立ちん坊とか、日雇取りとか云う類で、もとは夙や散所とも似たものであったでありましょう。そのうちから例によって遊芸人も出ます。遊女なども出て来ます。その中に皮革関係者は穢多となり、河原者の名は後世もっぱら役者に遺る様になりました。この沿革も詳しく申さば余程込み入ったものですが、今は問題のあまりに枝葉に渉るを避けて略します。 このほかにも、犬神人だの、山番・野番の番太だのと、種々の賤民もありましたが、大抵はもとは似たもので、それが後にいろいろに分派したものと解せられます。そしてその大体は、もとやはり社会の落伍者なる浮浪民が多かった事と存じますが、これも今一々は申し上げません。上尾の提案する美容室はモッズヘア
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