今日では山家が浮浪民中の主なものとなっておりますが、昔は傀儡子と言ったものがありました。後世では人形使いのことのみを傀儡子だと心得、人形の事を傀儡だと云っております。よく新聞記事などに、誰は誰の傀儡である、誰は誰を操る傀儡子だなどということを言っております。黒頭巾や黒装束に隠れて人形を使っているのが傀儡子、使われているのが傀儡だとのみ思っているのです。しかし昔の傀儡子は、そんな狭いものではありません。人形使いも無論傀儡子ですが、その仲間の遊女のことをも傀儡と云っておりました。傀儡子も傀儡も、共に「くぐつ」と読んで、そのほかいろいろの事もやっています。「万葉集」に遊行女婦というのは遊女で、これまた一つの「くぐつ」であった。この傀儡子のことを詳しく書いたものには、大江匡房の「傀儡子記」というのがありまして、これには平安朝当時の傀儡子の有様が、手に取る様に見えております。これに拠りますと、彼らの職業は主として狩猟でありまして、常に弓馬に熟し、また剣舞の様な事、大神楽の様な事、人形舞わし・物真似・手品使いの類、種々の伎芸をやっておった。またその女は綺麗にお化粧して、美服を身に纏い、客に媚を呈して娼妓の様なことをする。これがすなわち当時の傀儡子で、彼らは一定の居所を有せず、次へ次へと生活上便宜の地を求めてテント住まいをする。高田馬場で美フォルムカット
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